春駒の会 じゅり馬

あなたは、春駒をご存じですか?、

観たことがありますか? 

今では、姿を消してしまった日本の貴重な民俗芸能なのです。 


 不毛の冬を越え、やがて訪れる春は生命の再生復活を表徴する季節なのです。新しく年が明けた新春の頃、旅芸人達が各地を廻り、村や町を神様になりかわって訪れては、新しい年を寿祝(ことほ)ぎ、農家にはその年の農作物の豊作を、町場の商家では一年の家業の繁盛と家内息災を願い祈った「予祝芸」といわれておりました伝統芸能なのです。

 そのはじまりは古く、遠く平安の時代には春駒が行われていたといいますし、室町時代の京洛の都市生活を描いた「洛中洛外図」には、門口に立つ春駒の芸人達の、その姿が残されています。春駒と同じ門付芸の仲間には、獅子舞、千秋万歳、大黒舞、太神楽があります。どれもみな貴重な芸能でした。

 しかし、その様な門付芸や予祝芸を担っていた旅の芸人達は、今ではいなくなってしまい、その姿を見かけることは、もう出来なくなってしまいました。なぜなのでしょうか? 

 歌舞伎や日本の民俗芸能研究の第一人者であった故・郡司正勝先生はこのように述べていました。「日本の芸能は、能でもかぶきでも浄るりでも、芸能であって同時に芸術性をももつ二重の意味をもつものだといっていい。つねに底辺の芸能によって支えられてきた構造が、日本芸能の力であったといえる。その底辺の芸能が、いまや、枯れがれの状態なのである(郡司正勝刪定集第四巻・放浪芸能の系譜)」

 郡司先生が述べておられる「底辺の芸能」とは、庶民の生活の中にもっとも密着して添うように生きてきた民衆芸能のことである、私はそう考えています。むかし、旅芸人達は「旦那場」を求めて漂泊の旅を続けたといいます。その「旦那(檀那)」という言葉の元になった故事が物語るように高貴な名樹も根元の草々と見えない地中ではつながっており、露を垂らさずに刈り取ってしまうのであれば、やがて名樹自身も立ち枯れてしまうということだそうです。

 千秋萬歳にしろ春駒にせよ、これら民衆芸能もやはり日本の芸能のアイデンティティを語る上では実に貴重な存在だったのです。例えば、千秋萬歳が、やがて漫才を産みだしたように、現在の芸能の、とりわけ歌舞伎や能狂言、舞踊、そしてお座敷芸などの原形になったものが多いといわれているのです。日本舞踊や歌舞伎にも春駒があり鳥追がさりげなく出てきます。道の芸といわれます門付芸にも春駒が、鳥追があります。そのような芸は、お互いにどのような関係つながりがあるのでしょうか?。一つひとつその芸態を見たときに、もっとも素朴な私達の民俗の姿を交互にかいま見せてくれるのです。

 この様な、かつて旅の芸人達が担っていた民衆芸能は、先程も述べましたように姿をすっかり消してしまいましたが、今ではかつて予祝の芸を迎えいれていた農村や町の人々によりその地域の伝統芸能として残されています。 私達は、各地にその様にして残されていた民衆芸能、とくに春駒関係の民俗資料を集め、本来の旅の虹芸としての春駒の再生を試みてきました。この幻の伝統芸能、日本の旅の虹芸の復権を目指して今も私達は活動しています。

 古(いにし)えの頃、このヤポネシアの列島弧に暮らす人々は四季豊かなこの地の自然と相対しながら、やがて「神様」という概念を生み出して、この自然の恵みとしての神々様に、豊饒と倖せを祈り願ったのかもしれません。この様な願いがやがて芸能という人間達の行為、表現を生み出していったのでしょう。

 旅の様々な虹の芸(門付芸)、現在の様式美に満ちた伝統的な芸能と、その民俗的な発生を今につなぐものなのかもしれません。 私達と一緒に旅の虹芸を再生し、演じてみませんか? 私達は、芸能のフォークロアをさぐりながら、その芸能の精神、気持ちを大切にしながら踊り続けていきたい、そう思っています。

 私達と一緒に、春駒や沖縄の辻・女の里に350年前から伝えられてきた美しいじゅり馬を踊ってみませんか? 私達は、演じる者と観る人々がおおらかに、同じ視線でともに倖せを祈る自由な演劇空間を創出していきたいと、そう思っています。

 

〈沖縄のじゅり馬について〉
 じゅり馬は、春駒と親戚の関係にある、沖縄那覇、辻・女の里に350年も前から踊られてきた美しい芸能です。やはり、春駒と同じ様に、春の到来を寿祝(ことほ)ぐ予祝の芸能です。沖縄には「うない信仰」がありますが、首里王府(琉球王国)によって「浮島(那覇)」の地、辻に組織された祝女達が、廿日正月祭りに、その歳の豊饒と招福を祈念して踊ったのがはじまりとされる女性のみにゆるされた芸能です。現在も、那覇三大祭(他に爬龍船競争・大綱引)として、春の沖縄を代表する古典の民衆芸能なのです。私達は、春駒のフォークロア(民俗)をたどる過程で、じゅり馬を今も大切にしている那覇・辻の人々と交流がはじまり、じゅり馬という芸能の美しさに魅せられ、じゅり馬の元家(むとぅーや・本家)から許され、このたび「じゅり馬」を踊ることにしたものです。